2008年06月04日

書きかけ(覚書)

オートバイの動作におけるロスレスは有限ではあるが可能である。

われわれはムダなガソリンと体力を消費してはいないか?

投稿者 uga : 01:08 | コメント (3)

2008年04月02日

ホイールベアリング

ホイールベアリングをチューニングする際のポイントについて

GARAGE-UCGではタイヤ交換やスプロケット交換の際、必ずホイールベアリングのチェックをしている。チェックポイントは回転にゴロツキがないか、位置は適正か、などが主なもの。それらに異常が感じられる場合、確認してみるとたいていはグリスが乾いていたりサビが発生していたりする。位置が適正か否かは、スペーサーがカタカタするような状態になっていないか、あるいは逆にベアリングが指で回せないほどきつく打ち込まれていないか等で判断できるのだが、カタカタしているものは大半がベアリング自体に異常が発生していたりする。それもそのはずで、位置が悪ければアクスルを適正トルクで締め付けたとき、ベアリングがこじられるような位置で回転することになってしまうからだ。経験的に言えば、スペーサーは指で軽く押したくらいでは位置がズレないくらいの状態になっていて、なおかつベアリングは指でコロコロ回せるくらいの位置にあるのが望ましいようだ。このあたりの感触は言葉にしにくいので、指に覚えてもらうほかない。

ベアリングは両側接触のラバーシールのものを主に使用している。レースでもないかぎり、これが一般使用には一番無難であるし、コストを抑えて長期安定使用するにはグリスの乾きを極力抑えられるものがよいからである。
シールされたベアリング内部のグリスの量は、詰めればよいというものではなく、発熱を抑えるためにも、内部空間の30%あたりを目安に封入するべきである。新品の両面シールのベアリングはほぼこの量のグリスがあらかじめ詰められている。GARAGE-UCGではそこへグリスの粘度を落とし(グリス自体の金属表面への吸着性は上げる=油膜を強める)ながら乾燥を抑えるために特殊な液体グリスを添加して、シールの抵抗も極力抑えられるように加工している。これによってベアリング単体の回転はより軽くなる。

実は以前から、ベアリングがノーマル状態のものと、上記の加工をして適正な組付けをしたものとで、車両を引っ張って動き始める瞬間の重さをバネ秤で計測する実験を企画しているのだが、なかなかそれを実行するヒマがなく、実測値を公開できずにいる。車両を押してみての変化はすぐに実感できるほどの違いがあるので、数値にすればおそらく驚くほどの違いがあるものと確信してはいるのだが。

投稿者 uga : 00:37 | コメント (3)

2008年03月31日

クロースミッション

    OVER製クロース     スタンダード
1速     1.824          2.357
2速     1.350          1.555
3速     1.087          1.190
4速     0.913          0.916
5速     0.808          0.777

投稿者 uga : 05:04 | コメント (0)

2007年08月21日

オーナーとライダー

エストモ」のshmaさんがSRを手放したと聞いてからずっと考えていた。shimaさんのSRのことではなく、オートバイと人との付き合いについてである。
昔から男はオートバイとの付き合いを女性との付き合いに譬えて話すことが多い。そうするとなにかと分かりやすくもあるのだろうが、自分の場合はどうなのか、マジメに考えたことがなかったので考えるよい機会にさせていただいた。

83年の4月からだから、数えると24年と4ヶ月、数ヶ月車検を切らしたこともあるがずっと乗り続けている自分のSRとはどういう出会いだったのか。そしてどのようにして今に至っていて、今後どうなるのか。

オートバイに興味をもちだして最初の頃、初めて美しいと思ったのはXS650Specialだった。78年ごろのことだったと思う。その後免許をとってから「欲しい」と思った最初のオートバイがSRだった。店に並んでいたのは黒の500と赤の400、キャストホイールのモデルだった。80年の秋である。
その後いくつかのオートバイを所有した後、SRが次期モデルでキャストからスポークに変わると聞いて、デザインも見ないうちに注文したのが83年の3月。そう考えるとずっとSRに乗りたいと憧れ続けていたわけでもなく、また現物のSRに一目惚れしたわけでもなく、なんとなくずっと気になっていたオートバイを、あるきっかけが元で手に入れた、ということになるのか。要は事がそういうタイミングで運んだ、ということだろう。

それから24年のあいだ、他に所有したオートバイは何台もある。そのうち3台ほどはいまでも手元にあるが、どれもそれなりの距離を乗ってはいても、同じような付き合い方ができているわけではない。これまで手に入れてもほとんど乗らないで手放したものもあれば、あなり手を入れて世話を焼いたが手放すときにそれほど感慨があったわけでもないものもあった。それらのオートバイたちと、いまも乗り続けているSRとの違いはなんなのだろう。どうも言葉にできそうにない。

ガレージや自宅の周辺に、ずっと放置されているオートバイが何台かある。もう数年動かされていないものだ。オーナーが他界してしまっているなら仕方がないが、タイヤもつぶれて動けなくなっているオートバイを見ると、やはりオートバイは走ってなんぼのものであり、また走らせる人がいてなんぼのものだなとつくづく思う。人にとってもオートバイにとってもお互い命を預けあっているわけだから、「ちゃんとした付き合い」ができなくなったらそれは危険なことなのだ。主体が人にある「わたしのオートバイ」という考えと同時に、オートバイに主体を置いた「わたしのオーナー」という考えもあるとするなら、そのオートバイが不遇な思いを抱いたまま朽ち果てていくことになるオーナーにだけはなりたくない。それはオーナーであってもライダーではない。

どうもとりとめのないことしか思いつかない。

投稿者 uga : 02:16 | コメント (10)

2007年08月18日

恵那で高速を降りた。この先の恵那山トンネルは開通後間もなく初めて通ったときから印象が良くなかった。今回は急ぐ旅でもないのでこの隧道を避けようと考えたのである。降りたついでと、まだ走ったことのない天竜川沿いに向かった。平谷村、売木村を経て天竜村へ着く。そこから国道を避け、天竜川沿いの県道をひたすら北へと上る。
話にだけ聞いていた伊那谷は、まさに山と谷が延々と続く中に、ところどころ急な斜面を耕した幾段もの田が見事な景色を描いていた。水はどこから引いているのだろう。美しく見える風景にも数々の悶着が歴史として刻まれているはずだ。悲しむべきことに土地にまつわる人々の争いはここに限ったことではなく昔も今も変わらず続いているものに違いないが、左右に見渡すことができる平地がわずかに限られているからか、谷間の空気は密度が高いように感じてしまう。あまりにも高くそびえる山々が、人が暮らしていける空間を圧迫しているように思えるのである。山を故郷と思えない里人の偏見なのだろうが。

飯田に立ち寄り散歩する。
独特の地形が基調となるその街並みは、かつてないほどの酷暑のせいもありじっとりと凝固した空気に包まれていた。西に傾いた陽が木曽山脈や恵那山のせいで思いの外早く陰ってしまうからだろうか、前日に歩いた近江八幡の街並みも似たような時代の建物が多く立ち並ぶのに妙にあっけらかんとして、同じ時刻でも明るく気分が楽だったのとは対照的だ。その差はどうも街の経済による違いとは思えない。

飯田を後にし天竜川を遡上する。伊那で東に折れ高遠から茅野に向かうつもりが、折から出てきた雲と沈みかけた陽のせいか道を間違え、高遠より南に向かってしまった。日が暮れてから知らない山道、しかも車の交通がまったくないに等しいところを走り続けるのは一刻も早く終わりにしたかった。ガソリンがリザーブに入っていたのも気を急かす一因であった。何も見えないバックミラーを何度も覗きながらかろうじて駒ヶ根まで辿りついたとき、深い山にはまだ物の怪が生きているのかもしれないと本気で思った。

投稿者 uga : 01:10 | コメント (3)

2007年08月09日

タイヤ交換によるディメンションの変更

SRの初期型=フロント19インチ(リム幅1.85)とリア18インチ(2.15)の組み合わせに適合する範囲において、タイヤ交換によるディメンションの変化がどれほど可能かを試算してみた。
AVON AM26のカタログによる数値を元にすると、それぞれタイヤ外径は以下のとおりである。

フロント
100/90-19 663mm
3.25-19 665mm
90/90-19 645mm
リア
100/90-18 637mm
110/80-18 631mm
110/90-18 655mm
4.00-18 671mm

これらの数値を眺めていると、次のようなことが計算上成り立つことがわかる。
すなわち、仮にフロントを一定とした場合、リアタイヤの外径は最大40mm変化させることが可能であり、その場合、キャスターの変化は軸間距離を1410mmとした場合、約0.8度となる。
さらに、フロント外径を最大から最小へ変化させた場合20mmの変化が生まれ、もしリアの最大変化量と同時にこれを行った場合、キャスターは2.4度変化することになる。
キャスターを2.4度変更するにはフォークの突き出しを何mmにすればよいのか計算できていないが、かなり大きなものとなることと思われる。
初期型のBSマグモーパスのフロント3.50-19を初めて3.25のミシュランS41に履き替えた際(リアはノーマルと同サイズ4.00-18のM45)、乗り心地と同時に操縦性が格段に軽くなったのは、タイヤ自体の性格はもとより、このサイズ(外径)の変化が大きな要素だったことがいまさらながらよくわかる。

もちろんこれらはタイヤ空気圧やリムのサイズ、サスペンションのセッティングにより文字通りの数値とはならない場合が多かろうが、それにしてもタイヤの交換だけでこれほどまでに、操縦性に変化を及ぼす大きな要素であるキャスターの変更が可能であることは、タイヤ選びの際の大きな参考となるのではなかろうか。

投稿者 uga : 03:48 | コメント (2)

2007年06月19日

CB250セニア

新シリーズ(笑)
記憶に残っているバイク・オートバイを書き記しておこう。

まずは自分のオートバイとして初めて手に入れたCB250セニア(1972)。フロントブレーキはディスクになったタイプで、カタログスペックでは最高出力27馬力とあり、手に入れた1981年当時のモデルと比べてもそれほど遜色はない数値である。
なぜかこの車両の写真がない。通算すると二年くらいは乗っていたはずなのだが、写真が一枚もないのはどうしたわけか。1981年の春に十年落ちの車両を当時六万円で、近衛通りそばの自転車屋から購入。別の店でハスラー250(1976ごろのもの)に試乗した後、いろいろ迷ってCBにした。キャンディオレンジの塗装はすっかり日に焼けて上面が薄くなっており、キャブレターやらブレーキやらに不具合もあったが、とにかくそのときあった手持ちの金で手に入れられるのはこれくらいだった。それくらい自分のオートバイに飢えていた。

ポイント点火方式のことも、峠の走り方もなんにも知らない頃のことだから、このセニアがどういう不具合を訴えているのかもろくにわかっていなかったが、とにかく走っているだけで嬉しく、オートバイというツールがどれほど楽しさの可能性を秘めているのか、乗るたびに教えてくれるようなものだった。だが、すでにわずかではあれ経験していた他のオートバイ(RG250Eやホーク兇筌曄璽掘砲鉾罎戮襪函¬世蕕にブレーキは効きもタッチも悪く、乗り心地もお世辞にもいいとは言えなかった。唯一魅力だったのはその排気音で、250とは思えない重厚な音が気に入っていた。夜中に山の中に一人で走りに行ったときなど、路肩に停めたセニアが暗闇の中で「ドッドッドッドッ」と正確なリズムと音と熱を発しているのが心強く感じられたものだ。

とにかくいつでも金がない頃でもあってタイヤはうっすらヒビ割れた状態のまま、乗らなくなるまで換えることもなかった。その古びたリブパターンのフロントタイヤのせいで何度かスリップダウンもしたが、それでも換えることはなかった。いま思うと信じられないことをしていた。おかげでヘルメットの大切さだけはしっかり身体で覚えたが。

投稿者 uga : 00:33 | コメント (9)