2007年08月18日

恵那で高速を降りた。この先の恵那山トンネルは開通後間もなく初めて通ったときから印象が良くなかった。今回は急ぐ旅でもないのでこの隧道を避けようと考えたのである。降りたついでと、まだ走ったことのない天竜川沿いに向かった。平谷村、売木村を経て天竜村へ着く。そこから国道を避け、天竜川沿いの県道をひたすら北へと上る。
話にだけ聞いていた伊那谷は、まさに山と谷が延々と続く中に、ところどころ急な斜面を耕した幾段もの田が見事な景色を描いていた。水はどこから引いているのだろう。美しく見える風景にも数々の悶着が歴史として刻まれているはずだ。悲しむべきことに土地にまつわる人々の争いはここに限ったことではなく昔も今も変わらず続いているものに違いないが、左右に見渡すことができる平地がわずかに限られているからか、谷間の空気は密度が高いように感じてしまう。あまりにも高くそびえる山々が、人が暮らしていける空間を圧迫しているように思えるのである。山を故郷と思えない里人の偏見なのだろうが。

飯田に立ち寄り散歩する。
独特の地形が基調となるその街並みは、かつてないほどの酷暑のせいもありじっとりと凝固した空気に包まれていた。西に傾いた陽が木曽山脈や恵那山のせいで思いの外早く陰ってしまうからだろうか、前日に歩いた近江八幡の街並みも似たような時代の建物が多く立ち並ぶのに妙にあっけらかんとして、同じ時刻でも明るく気分が楽だったのとは対照的だ。その差はどうも街の経済による違いとは思えない。

飯田を後にし天竜川を遡上する。伊那で東に折れ高遠から茅野に向かうつもりが、折から出てきた雲と沈みかけた陽のせいか道を間違え、高遠より南に向かってしまった。日が暮れてから知らない山道、しかも車の交通がまったくないに等しいところを走り続けるのは一刻も早く終わりにしたかった。ガソリンがリザーブに入っていたのも気を急かす一因であった。何も見えないバックミラーを何度も覗きながらかろうじて駒ヶ根まで辿りついたとき、深い山にはまだ物の怪が生きているのかもしれないと本気で思った。

投稿者 uga : 2007年08月18日 01:10
コメント

なかなか名文ですな。彼の地の方には申し訳ないかもしれんが、わしも持つあのあたりの印象をよくあらわしていると思う。山には物の怪がいる、確かに昔、熊野方面の山中を夜中に走ったとき、同じ道を何度も通ったような錯覚に陥って、一旦止まって考えたことがあるのを思い出した。現代にも物の怪はきっとおるのじゃろ。
対照的に本日、湖南で見た夕暮れはきれいでした。水辺に近い景色というのは人を和ませる気がする。

Posted by: wawa : 2007年08月18日 22:03

名文などとんでもない。彼の地の人でなくとも、信州をこき下ろしているとしか思えない文だと読み返してみて思う。本意はその地形からくる陽の陰影を語っているつもりで、決してその地に暮らす人云々を言っているわけではないのだが、土地と人とを同一視する人が読んだらそうは思えないだろう。いずれにせよこのコメント欄に書いても詮無いことなので、後ほど本文を書き直そうと思う。

Posted by: 宇賀 : 2007年08月20日 03:20

今日は よろしくお願いしますね^^すごいですね^^
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Posted by: モンクレール ダウン : 2013年01月12日 10:51
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