2007年08月21日

オーナーとライダー

エストモ」のshmaさんがSRを手放したと聞いてからずっと考えていた。shimaさんのSRのことではなく、オートバイと人との付き合いについてである。
昔から男はオートバイとの付き合いを女性との付き合いに譬えて話すことが多い。そうするとなにかと分かりやすくもあるのだろうが、自分の場合はどうなのか、マジメに考えたことがなかったので考えるよい機会にさせていただいた。

83年の4月からだから、数えると24年と4ヶ月、数ヶ月車検を切らしたこともあるがずっと乗り続けている自分のSRとはどういう出会いだったのか。そしてどのようにして今に至っていて、今後どうなるのか。

オートバイに興味をもちだして最初の頃、初めて美しいと思ったのはXS650Specialだった。78年ごろのことだったと思う。その後免許をとってから「欲しい」と思った最初のオートバイがSRだった。店に並んでいたのは黒の500と赤の400、キャストホイールのモデルだった。80年の秋である。
その後いくつかのオートバイを所有した後、SRが次期モデルでキャストからスポークに変わると聞いて、デザインも見ないうちに注文したのが83年の3月。そう考えるとずっとSRに乗りたいと憧れ続けていたわけでもなく、また現物のSRに一目惚れしたわけでもなく、なんとなくずっと気になっていたオートバイを、あるきっかけが元で手に入れた、ということになるのか。要は事がそういうタイミングで運んだ、ということだろう。

それから24年のあいだ、他に所有したオートバイは何台もある。そのうち3台ほどはいまでも手元にあるが、どれもそれなりの距離を乗ってはいても、同じような付き合い方ができているわけではない。これまで手に入れてもほとんど乗らないで手放したものもあれば、あなり手を入れて世話を焼いたが手放すときにそれほど感慨があったわけでもないものもあった。それらのオートバイたちと、いまも乗り続けているSRとの違いはなんなのだろう。どうも言葉にできそうにない。

ガレージや自宅の周辺に、ずっと放置されているオートバイが何台かある。もう数年動かされていないものだ。オーナーが他界してしまっているなら仕方がないが、タイヤもつぶれて動けなくなっているオートバイを見ると、やはりオートバイは走ってなんぼのものであり、また走らせる人がいてなんぼのものだなとつくづく思う。人にとってもオートバイにとってもお互い命を預けあっているわけだから、「ちゃんとした付き合い」ができなくなったらそれは危険なことなのだ。主体が人にある「わたしのオートバイ」という考えと同時に、オートバイに主体を置いた「わたしのオーナー」という考えもあるとするなら、そのオートバイが不遇な思いを抱いたまま朽ち果てていくことになるオーナーにだけはなりたくない。それはオーナーであってもライダーではない。

どうもとりとめのないことしか思いつかない。

投稿者 uga : 02:16 | コメント (10)

2007年08月18日

恵那で高速を降りた。この先の恵那山トンネルは開通後間もなく初めて通ったときから印象が良くなかった。今回は急ぐ旅でもないのでこの隧道を避けようと考えたのである。降りたついでと、まだ走ったことのない天竜川沿いに向かった。平谷村、売木村を経て天竜村へ着く。そこから国道を避け、天竜川沿いの県道をひたすら北へと上る。
話にだけ聞いていた伊那谷は、まさに山と谷が延々と続く中に、ところどころ急な斜面を耕した幾段もの田が見事な景色を描いていた。水はどこから引いているのだろう。美しく見える風景にも数々の悶着が歴史として刻まれているはずだ。悲しむべきことに土地にまつわる人々の争いはここに限ったことではなく昔も今も変わらず続いているものに違いないが、左右に見渡すことができる平地がわずかに限られているからか、谷間の空気は密度が高いように感じてしまう。あまりにも高くそびえる山々が、人が暮らしていける空間を圧迫しているように思えるのである。山を故郷と思えない里人の偏見なのだろうが。

飯田に立ち寄り散歩する。
独特の地形が基調となるその街並みは、かつてないほどの酷暑のせいもありじっとりと凝固した空気に包まれていた。西に傾いた陽が木曽山脈や恵那山のせいで思いの外早く陰ってしまうからだろうか、前日に歩いた近江八幡の街並みも似たような時代の建物が多く立ち並ぶのに妙にあっけらかんとして、同じ時刻でも明るく気分が楽だったのとは対照的だ。その差はどうも街の経済による違いとは思えない。

飯田を後にし天竜川を遡上する。伊那で東に折れ高遠から茅野に向かうつもりが、折から出てきた雲と沈みかけた陽のせいか道を間違え、高遠より南に向かってしまった。日が暮れてから知らない山道、しかも車の交通がまったくないに等しいところを走り続けるのは一刻も早く終わりにしたかった。ガソリンがリザーブに入っていたのも気を急かす一因であった。何も見えないバックミラーを何度も覗きながらかろうじて駒ヶ根まで辿りついたとき、深い山にはまだ物の怪が生きているのかもしれないと本気で思った。

投稿者 uga : 01:10 | コメント (3)

2007年08月09日

タイヤ交換によるディメンションの変更

SRの初期型=フロント19インチ(リム幅1.85)とリア18インチ(2.15)の組み合わせに適合する範囲において、タイヤ交換によるディメンションの変化がどれほど可能かを試算してみた。
AVON AM26のカタログによる数値を元にすると、それぞれタイヤ外径は以下のとおりである。

フロント
100/90-19 663mm
3.25-19 665mm
90/90-19 645mm
リア
100/90-18 637mm
110/80-18 631mm
110/90-18 655mm
4.00-18 671mm

これらの数値を眺めていると、次のようなことが計算上成り立つことがわかる。
すなわち、仮にフロントを一定とした場合、リアタイヤの外径は最大40mm変化させることが可能であり、その場合、キャスターの変化は軸間距離を1410mmとした場合、約0.8度となる。
さらに、フロント外径を最大から最小へ変化させた場合20mmの変化が生まれ、もしリアの最大変化量と同時にこれを行った場合、キャスターは2.4度変化することになる。
キャスターを2.4度変更するにはフォークの突き出しを何mmにすればよいのか計算できていないが、かなり大きなものとなることと思われる。
初期型のBSマグモーパスのフロント3.50-19を初めて3.25のミシュランS41に履き替えた際(リアはノーマルと同サイズ4.00-18のM45)、乗り心地と同時に操縦性が格段に軽くなったのは、タイヤ自体の性格はもとより、このサイズ(外径)の変化が大きな要素だったことがいまさらながらよくわかる。

もちろんこれらはタイヤ空気圧やリムのサイズ、サスペンションのセッティングにより文字通りの数値とはならない場合が多かろうが、それにしてもタイヤの交換だけでこれほどまでに、操縦性に変化を及ぼす大きな要素であるキャスターの変更が可能であることは、タイヤ選びの際の大きな参考となるのではなかろうか。

投稿者 uga : 03:48 | コメント (2)