2004年09月24日

チェーンライン

 チェーンとスプロケットを交換して3500kmほど走ったところで清掃してみた(といってもウェスで軽く拭くだけ)。
 まず新品のチェーンについていたグリスをすべて落としてから、YOHさんに紹介してもらったチェーンオイル(円陣屋さんのCPO)を塗布して装着したのだが、ツーリングの雨天走行なども含めて最近は仕事用として使っているにもかかわらず、スプロケットの摩耗がほとんどないのに驚いた。
 スイングアームの取り付け時に純正のシム(0.3mm)を用いてチェーンラインの調整をしたのも効果があったようで、スプロケットの外側にはまったく摩耗がみられず、内側もわずかに痕跡が見える程度だった。
 スプロケットの精度とチェーンラインの適切さ、そしてオイルの優秀性の3条件がうまくかみ合えば、ほとんどメンテナンスフリーに近い状態を維持できることがわかった。
 ちなみにウガレージで行われるスプロケット・チェーンの交換は必ずこの手順を踏む。<宣伝(笑)


投稿者 uga : 16:37 | コメント (10)

2004年09月17日

040917

 昨日の交通事故の治療のため行った東京女子医大から、ふと思い立ってガレージまで足をひきずりながら歩いて帰った。途中に漱石の生家や終の棲家のあった地があり、雑司ヶ谷の墓と共にたびたび訪れているのだが、今日も急に立ち寄ってみたくなったのだ。
 漱石の作品は好きだが別に漱石という人を愛してるわけではない。会った事もない人を愛せるほど器用な人間ではないし、作品を敬愛しているからといって作家という人物まで好きになるかといえば、それはまったく別のことだ。
 雑司ヶ谷の墓は以前住んでいたところの生活圏にあり、墓参とまではいかないがそれこそ日常的に訪れていた。墓石はとても漱石自身が望んで建てさせたものとは思えぬ形をしており、すぐそばにある竹久夢二の墓とは対照的ともいえる姿を見せている。漱石も夢二も五十歳(数え年か?)で没しているが、共に自らの墓のことまで考えていたとは想像し難い年齢である。
 雑司ヶ谷霊園は知人を案内することも何度かあったほど好きでよく歩いたところだ。小泉八雲や永井荷風といった私の好きな作家の墓もいくつかあった。荷風といえば三ノ輪の浄閑寺が十年ほど前に建て替えられ、以前の雰囲気が失われてしまったことを思い出す。彼はそこに自身の墓が建てられることを望んだが、彼の没後家族の反対があってそれは実現しなかったと聞いた。新吉原の無縁の遊女たちと並んで、陽当たりのよくない境内に墓が建てられるのは彼自身が望んだことであったのだが。
 印象的な墓といえば、京都に暮らしたころ下宿のそばにあった谷崎潤一郎の墓もそのひとつ。自然石に「寂」とだけ彫られたそれは、まだ若かった私には却って派手に見えた。
 どういう理由かは自分でもわからないが、十代の早い頃から墓地や霊園を歩くのが好きであった。好きというよりも、散歩していて気づくとそうしたところに佇む自分がいた。なのに自分の墓がどうなろうと自分の知ったことではないと日頃思っているのは、実は道理にかなっていることなのである。

七月、父の墓にルドベキア・プレーリーサンという名の菊を植えた

投稿者 uga : 22:26 | コメント (1)