2005年12月05日

051205 品川宿

雲がなかった。
鮫洲で免許の更新をしたついでに、旧東海道を下り泉岳寺まで歩く。

 品川宿は目黒川を境に南北に分かれる。現在の品川駅は港区のはずれにあり、品川の宿からみれば北のはずれもいいところで宿場とはまったく別の土地にあたる。品川駅の南側に北品川があるのは妙な感じもするが、鉄道の品川駅が新参なのだから仕方がない。

 品川宿あたりの旧東海道をたどれば百年前の一級国道はこの道幅だったのかとよくわかる景色が続く。さすがに明治期の建物はほとんど残っていないが、そこここに残る道祖神や馬頭観音が往時を偲ばせる。品川寺(ほんせんじ)のイチョウは六百年の樹齢だそうだが、本当だとすると品川の宿場が整備される前からそびえていることになる。今も梢から銀杏を降らせているのは見事というほかない。

 江戸へ向け下っていくと、道の左手には数え切れないほどの寺社が並ぶのに対し、右手にそれらは皆目見当たらず、路地を数軒入った先にはいかにも古いといった風情の建物はない。それもそのはず、このあたりの東海道は元もと海岸に沿うように走っており、なるほどよく見ると路地裏にはとぎれとぎれに元は海岸だったのであろう名残の石垣が残っている。現在の海岸は近いところでも1キロは東にある。

 その名も「臨海山 法禅寺」は北品川宿にある寺だが、境内にある塚は天保の飢饉で農村を離れた窮民が江戸に流入しようとするも品川宿で多数行き倒れたため、その人々を葬ったもの。その折品川の宿で果てた人の数は九百近いという。仮に江戸市中までたどり着いたとて、その後暮らしていくことができたかはわからぬ。が、残すところ日本橋までわずかに二里。ここはまだ江戸ではない。塚の周囲に無念の気か、えもいわれぬ雰囲気がいまだ漂う。

 現在の国道15号・第一京浜と旧道が交わるところが八ツ山橋。橋からは下に山手線や東海道本線をはじめとする各線の行き交うのが見え、目を上ぐれば台車に赤錆の浮いた京急電車が眼前を過ぎる。鉄道好きにはさぞやたまらない場所だろう。そこで旧東海道は面影を消す。現在の品川駅は十年ほど前まで東口にあった瓦葺の駅舎が消えてから、なんの変哲もない駅となってしまった。

投稿者 uga : 23:49 | コメント (0)