2005年05月04日

最高の情報

オートバイ乗りたる者よ、五感の先にある感覚を研ぎ澄ませ!
ブラインドコーナーの先にある、まだ見えない危険を感知することができなければ君は生き残れない!
この感覚は歳をとってからでは磨くことのできないものだ。
若い人よ、その感覚を研ぎ澄ませ!
目の前のコーナーの先にある「なにか」を、全神経以上の肌で感じ取れ!

…あらためて昨夜酔っ払って書いたのを読み直してみると(いまも酔ってるけど)勘違いされかねないなとちと不安に思った。
オートバイは感で走るんじゃないよ。
できるだけ多くの情報を、眼から耳から、そして気配からも感じ取って判断して走るんだ。
安全運転ってのは、いつも万が一のことを仮想してそれに対処できるように走ることを言うから、感が働くかどうかは関係ないんだけど、見えないところ(一瞬先)の気配を察してブレーキをもう一呼吸長く引くかどうかはやっぱり「感」としか言いようがない。その感がはずれて速度を落としすぎて人を困らせることはないしね。
危ないのは「大丈夫だ」という感。これはアテにしちゃいけない。

投稿者 uga : 03:17 | コメント (4)

2004年03月03日

加速重視のススメ

ええと…忘れないように表題書いたんだけど、まだ文章書いてない…
乞わないご期待!

エンジン、キャブ、駆動系、乗り方、ライン取り、など多項目にわたる…予定(汗

投稿者 uga : 00:01 | コメント (3)

2004年01月24日

左手スロットル

右コーナーのバンク中はイン側の右手が突っ張ってセルフステアを邪魔しないようにするのは簡単なんだけど、左コーナーだとイン側の左手が突っ張っちゃう、って人いない? 自分の場合、リズムに乗れないときは左手にチカラは入っちゃってることが多いんだけど、これって路面が荒れ気味のときなんかに、ついつい左手でステアリングをホールドしようとするからリジッドになってしまいがちなのと関係あるのかも。右手はスロットルやブレーキいぢるもんだからリキみようがないんだけど、左手はそういうのからはフリーなもんだから、つい。

だもんで、左手にもスロットルがあるつもりで握っていると、これが、イイ。リラックスした右手と同じようにサスペンションがついたような感じで動きがしなやかになるよ。右手と同じように手首でわずかに(架空の)スロットル開けるような感じにすると、自然とヒジが内側に入り込もうとするし。
左コーナーは左手のスロットルで立ち上がるって感じ、ためしてみて。

でも、リズムに乗れないときってこういうのすっかり忘れちゃってるときなんで意味ないかも。

投稿者 uga : 09:36 | コメント (1)

2004年01月16日

1(安全)-1(視点)-2「注意1秒、注視0秒」

ライダーの視界が狭くなりがちなのは二輪の特性に起因する様々な理由があるわけだけど、「ライダーは四輪ドライバーに比べ路面の状況に意識が行きがち」というのも小さくない要素だ。
コーナリング時やブレーキング時にマンホールのフタや水たまりの上などを通過すると、四輪に比べてはるかに危険な状況に陥る可能性が、絶妙なバランスの上に成り立つ二輪の走行には宿命としてある。そのためライダーは無意識のうちに進路上の路面を注視してしまいがちになるというのである。進路上の路面というきわめて狭い部分を注視することは、すなわち視界内の他の部分への注意がおろそかになることを意味するから、総合的には安全度が低まることになりかねない。

そこで有効になるのが「注視しないで注意する」ものの見方だ。
よく聞く逸話に、サーキットを超高速でコーナリングしているレーサーがスタンドに知人を見つける、というのがあるけど、あれは誇張でもなんでもない(日本のサーキットは空いているから、とか言うな)。100/hをはるかに越えるスピードでフルバンクして立ち上がるときにそんなものを見ていてはコースアウトしてしまいそうなものだが、本当に見えているものはしょうがない。←見られた側です
一口に「見る」といっても、文字を読むように目の焦点を合わせてそこにある情報の意味を理解するような見方と、視界に入るものの状態や変化の中から必要な情報だけを把握するのとでは大きな違いがある。(…とここまで書いて、丁寧に語るとあまりにも長くなることに気づく。というか語れない:汗)

で、結論として(ぉぃ)
路面状況の変化を一点だけ「注視」して危険かどうかを判断するのはではなく、前方の視界内の「注意」すべき点の一つとして路面状況を把握することがポイントなのだ。さもないと、次々と前方の状況が変化するワインディングなどではリズムがつかめず、複数のコーナーを連続するものとして走り抜けることなど不可能になってしまうし、市街地でも刻々と変化する交通状況に対応できず「思いがけないところから車が出て来た(=見てなかった)」と、泣きを見ることになる。(わしもよく見る:泣)

具体的には、たとえば瞬間的に次のような段階を経ていることになるだろうか。
1.コーナリング中、前方の視界にマンホールが入ってきたとしよう。
  脳内A「艦長! ソナーに突然マンホールがっ! 距離20m!」
  脳内B「あわてるな…まだ距離がある。」
  脳内A「艦長! 早く撃たないとやられます!」
  脳内B「まて…もっと引きつけてからだ! 照準前方のすり減ったマンホ〜ル!
  魚雷発射準備!」
  脳内A「これ以上近づくと艦がぶつかります! 艦長っ!」
  脳内B「よし、今だ! 発射!」
  …アボーン
  これは悪い例。なにが悪いって、照準合わせて狙っちゃダメ。あわてるな、って
  とこまでは○。なるべく近づいて魚雷撃つのは自爆攻撃…
  *ここであわてるのが最もいけない。おちつくために一服する(艦内禁煙)
2.オートバイはそれを「注視する」(見つめる)と不思議とそちらに進んでしまう
  ようにできているので、
  それを視界内に置きながら回避する進路を判断、確認する。
  (その際、常に一点を見つめず、前方の視界をできるだけ広範囲に「眺める」)
  「艦長! 敵はまだこちらに気がついていません!
   減速回頭して回避できます!」
3.同時にあらゆる操作によってオートバイをコントロールし、回避進路へ進む。
  「艦長! どうやら敵をやり過ごせたようです! へっへっへ(手もみ)」

うーむ、なんか書いてて自分でもちょっと違うな、と思わないでもないけど、だいたいこんなもんかな…
結局、ガードレールやマンホール見つめるのは禁物、前方の視界は拡げた屏風を少し離れて鑑賞するように眺めるのがオトナ(ライダー)の見方としてステキ、ということか。小さな箇所を見つめるのはコドモが得意とする見方なんだな。ウォーリーを探せ、じゃないんだから。

投稿者 uga : 20:44 | コメント (0)

1(安全)-1(視点)-1「リアカーを引こう」

ライダーなら教習所や公安委の試験場で一度は聞いたことがあるであろう定説に「二輪車のドライバー(ライダーっていえよ)は四輪車のドライバーに比べ視界が狭い」というのがある。そのため他車や左右の障害物の変化に気づくのが遅れるんだそうだ。視界というより注意(注視とは違う)できる視野、といった方がいいかもしれない。どちらも運転できる人でさえ、二輪車に乗ると視界が狭くなるという。なぜだろう?

「視界が狭い」理由のひとつは、二輪車の車両の幅が人間が肘をはったくらいしかないもんだから、自分の進路がその程度確保されていれば(とりあえず)大丈夫だ、と無意識のうちに考えているからなんじゃないだろうか。対して四輪車は二輪車に比べて倍以上の幅があるから、常に人が歩く時とは異なる意識でいないと進路の安全が確保できない。二輪と四輪では乗車位置による視点、姿勢の違いも大きいけど、最も異なるのはこの車幅感覚だと思うのだ。

となれば、二輪車で走る時も四輪車の車幅の感覚をもって走れば視界は広まるかもしれない。
これを簡単にやるにはリヤカーを引くのが手っ取り早い。リアルなリアカーを引いてもいいけど、それが大変なら他の誰にも見えない、ぶつかっても音のしない脳内リアカーを引くのがお手軽だ。自分のオートバイの後ろに幅2m弱のリアカーをひっぱっていると想像しながら走ってみると、オートバイ単体で走っているときとは意識(視線、視界)が驚くほど変わってくることに気づくだろう。それが同時に左右の視界を無意識のうちに広げていることに他ならない。
それによってどれだけ安全確保ができるのかは他の要素も関わってくるので一概に論じられないにせよ、注意できる視野は狭いより広い方がいいに決まってるから、一度試してみてはいかがだろうか。ひいてはこれが市街地を走るときだけじゃなくて、峠やサーキットを走る際にも有効になってくる。
                                      (つづく)

投稿者 uga : 00:57 | コメント (2)